決して忘れることはできない一日に。
太平洋三陸沖を震源として、M9.0という観測史上最大の地震が起きた。
地震・津波の被害に合われた方々の人数は、3/13現在もまだ完全に把握されていない。
ソウタと私は、出産病院の母親学級で知り合ったママ友さん達と、銀座一丁目にてお食事をしていました。
日頃は必ずソウタをベビーカーに乗せて移動するところ、この日に限ってベビーカーを置いて、抱っこひもで出かけていました。身軽に移動しやすく、結果これが功を奏すことに。。
- 13:00 親子7組で銀座の地下1階レストランでお食事。久しぶりに集まったことで、お互いの近況報告で盛り上がる
- 14:46 1回目の大きな揺れ。ベビーを抱えて個室から出る。地下に閉じ込められたくない思いから外に出ようと考えるも、外より中にいた方が無難と考え、揺れが収まるまでレストラン内に。
- 15:00 揺れが収まったこともあり、外に出ることを決意。三越に車を止めていたママ友に付き合う形で三越方面に移動。この段階では、「三越新館で時間を潰そうか」程度の考え。
- 15:00過ぎ 2回目の大きな揺れ。銀座4丁目の交差点にて。和光の横のビルが大きく揺れているのを目の当たりにし、いよいよ大事っぽい認識に。車のママ友とはここで別れる
- 15:25 15:40に晴海方面に津波が来るとのアナウンス。日比谷公園・皇居方面に移動することに。タクシーを捕まえるべく、東京駅方面にも一旦足を向けたが、思いとどまる。
- 16:00 信号機が揺れたりしていたので、ペニンシュラホテル(2階のレストラン)にて避難させてもらう。当初は宿泊者でないため、難色を示されたが、6組のママ+赤ちゃんということで入れてくれた。日比谷公園・皇居は続々と人が増え、また雨も降り始めたため、ペニンシュラホテルには本当に感謝。
- 18:30 携帯の電池が切れる…。主人とはスマートフォンのGoogleチャットで逐一連絡が取れていたものの、電話はもちろん全く通じない。また電池消耗の激しいスマートフォンなため、電池が切れてからは不安増。
- 21:00過ぎ 父が会社から徒歩でホテルまで来てくれ、ソウタと3人で歩いて自宅まで
- 22:00 ようやく帰宅。帰宅途中にコンビニに寄ったが、食料はゼロ。また近くのスーパーも地震の影響で営業停止。辛うじて1箇所カップ麺を買えるところを発見。
- 明け方 主人も帰宅
携帯電話の電池が切れるまでは、ニュースもチェックしていたが、帰宅後改めてテレビを付けてびっくりした。この衝撃、そしてこんなにもテレビにかじり付いたのは9.11の時以来。
おむつ替えの時以外はずっと、7時間程ソウタを抱っこしていたため、また銀座から40分位かけて歩いて帰宅したため、疲れて帰ってきたものの、ニュースを見てこんなに大変なことになっていたのかと。この日はほとんど寝れなかった。
仙台に住んでいる祖父含め、親族の無事が確認でき、一安心。
今回は、災害がこんなにも怖いものなのかと思い知らされた。
ベビーという守らなければならない存在がいることの怖さ。
都心故、逃げる場所がないことに対する怖さ。
雪崩が起きそうな人の多さ、そしてそのパニック。
被害という被害は受けていないが、「怖さ」が腹の底に刻まれた一日でした。
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